朝の時間だ。
 
 もっとも私の世界に正式な朝と夜と昼の時間の区別は殆ど無い。この世界の天球は、蒼なれど空の色では無いからだ。
 海。それは深い深い海の色。陽光――本当にあるものなのかも分からないけれど――その光は厚い水深に阻まれてこの世界には届かない。
 この世界における光は、世界の中心に置かれた塔が発するものだ。塔、もっと適切な言い方をするならば、灯台。人工太陽という名の灯りが世界の時針を定めている。
 数十年前までは適切に動作していたらしいけれど、最近では壊れかけているのか明滅し、ふと夜になったかと思えば昼になり、一日中が赤染の夕方になる時もある。
 けれど、そのアンバランス性を好きと言える私は、少し"住めば都"が過ぎるだろうか?

 今日の寝床の苔むした広いホールから起き上がって、割れた天井の水漏れを掬って顔を洗う。
 外と内の境界が曖昧な、開けた世界で育った影響か、狭いところに居つくことに酷く不満を覚えるようになってしまった。
 このホールのある建物は、都市の主要な市民会館だったようで、街全体――世界全体が廃墟化した今でもしっかりと原型を保っている、なかなか頼もしい建物だ。
 壁に傾いたボードからかろうじて読み取れる情報からは、最後にここが"会館"として使用されたのは凡そ二〇〇年前らしい。
 私はボードに石でがりがりと二〇〇年後の日付と『シウが居眠り』と書き加えた。
 
 床のタイルの間から生えてきた根強い雑草を抜きながら眠気を覚ます。
 天井の割れ目から人口太陽の光が木漏れ日の様に差し込むのを見るのが私の"朝"の始まりだった。
 この世界で何処かが欠落していない構造物など稀なのだけれど、これを見たい為に私はいつも天井の割れた寝床を選ぶ。
 雨が降って風邪を引いたこともあるけれど、仕方のないことだよね?
 
 目が覚めると外に出た。もともとコンクリートジャングルであったであろうこの近辺も、今では本物のジャングルに……とまでは言わないんだけど、まあまあ目に優しい程度に緑化されていた。
 垂直には蔦がくるくる絡み、平行には雑草の絨毯がばーっと敷かれ、それを踏みしめながら環境音を背景に歩くのは、散歩としては最上に心地いいものと私は思う。
 二度と歌えないだろう即興の鼻歌を歌いながら気分よく、割れて沈下したアスファルトの道路を下っていると、澄んだ水面で行きどまった。

 これも数十年前にはなかったものだ。私には余り実感が湧かないんだけど、これが世界が終ろうとしている証拠という話らしい。
 私たちの世界の生存環境を、冷たい深海に保っている無色透明の防護壁。現代どころか、過去のロストテクノロジーでも作れない薄くて何より硬い壁。数千年前、神話の時代にあった魔法による産物と言われている、らしい。
 今まで数千年の間この世界を保ってきたものだったのだけれど、ついに歪みが限界に達して、このように浸水がどこかから始まっているという話だった。
 人が滅ぶのが先か、世界が滅ぶのが先か――そんな議論が過去になされてきたらしいけれど……それは大分際どい勝負になりそうかな? と人類最後の独りである私は思った。
 
 組み木のボートで水路になってしまった道路に漕ぎ出すと、手持ちのエンジンを起動させて加速させる。もともとは錆びついて壊れていた過去の遺物だけれども、私が本とにらめっこしながら初めて修理できた思い出の品だ。エンジンの音を聞いた時のあの喜びは忘れられない。
 
 …少し肌寒くなってきた。気づけば、世界は夜になっている。今日は灯台が不機嫌らしい。
 灯台から発される薄青い月光に任せてしばらく水面を揺蕩っていたが、やがてリュックからランタンを取り出して灯りを付けた。
 思えば、この方向は世界の外側だ。中心にある灯台から遠ざかるにつれて気温が下がっていくのはある種当然だった。
 
 ふと上を見る。
 上にはいつものような風景、深海の球面から覗き見れる魚群の影や遠い水面の幻想的な風景が広がっているものだと思っていた。
 
 しかし、その予想はやや裏切られた。幻想的という形容詞はそのままに。
 
 そこにあったのは、水晶の様に透明に透き通り、垂れ下がった氷柱の森だった。
 きらきらとした結晶の粒がランタンの光を跳ね返し、金粉が散ったように綺麗に見えた。
 数々のこの世界の美しいところを知っていたけれど、まだこんな場所があったなんて、と感動したのをよく覚えている。
 
 氷柱の摩天楼の中、一本の大きな氷柱が湖底に刺さって水面に突き立っているのを見つけ、近づいてみる。すると、その氷柱には石で何やら文字が刻まれていた。それは、それほど古いものでは無いように見えた。

 
いずれ来る最後の時に、この美しい世界を遺します。


いずれ来る最後の君が、この美しい世界を愛せるよう。



今もその言葉を胸に私は世界を歩く。
明日も美しい景色が見れますように。

このページへのコメント

こう・・・凄く雰囲気が有って良いわね!
直に見れないのが口惜しいわ。
探査ロボで録画とか出来ないかしら。

Posted by キリィ 2017年05月14日(日) 01:23:04

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