一番最初に会った時の印象は爽やかな少女だなと言うことだった
なんてことはない世間と少しずれた彼女。長い茶髪はサラサラしていて清潔感がある
笑顔は太陽のように晴れやかで落ち着いた雰囲気のある、それでいて間延びしない不思議な人だった


小熊「じゃあ恋人になろっか。私があなたを捨てるまで」


 今の印象はと言うと鈍痛を思い起こさせるような少女だった
目はしっかりとした虚ろで現実を見ている。言葉はゆったりとした早口で真理しか話さない
彼女自身も痛々しく、環境も痛々しく、見ている側まで痛くなるような少女
鋭い痛みでなく粘ついて絡むような鈍痛。きっと自分達はこの痛みなくして生きられないのだろう


小熊「うん、きっと私はあの部屋に帰る。だってどうしようもなく好きだから」


 自分は勝たなくてもいい。ただこの笑顔が守れるならそれで十分だ
完全無欠のハッピーエンドはない。きっと人と言うのは誰しも痛みを抱えて生きているんだろう




1988年/東京/町田


『すみません、わざわざ財布を拾ってもらって』

「いえ気にしないでください それでは」

『あの、よかったらそこの喫茶店でお茶しませんか?
 お礼がしたいですし、待ち合わせまでの時間暇ですし』

「新手のナンパですか? 最近金欠なんで行きますけども」

『別に奢りませんよ、私も最近金欠なんですよね
 財布軽かったでしょ? 自慢じゃないけど貧乏です』

「お礼ってなんだ……自分も暇だからいいけど」


 そんなこんなで近くの喫茶店に入った
シャレオツな店でどうにも自分が場違いな気がしてならない
彼女の方はと言うと随分と慣れた様子でメニューを見ている。年頃の少女らしい


『これなんか美味しいですよ、おすすめです』

「シフォンケーキか、自分甘いものは苦手なんだよね」

『なら猶更おすすめですよ、ここのはあっさりしていて食べやすいんです』

「じゃあそれとコーヒーを一杯頼もうかな」


 差し出されたメニュー表を2人で覗き込む。
彼女もあまり悩むほうではないのか手早く決まったので店員さんに注文した
店内の穏やかなBGMがいかにもな喫茶店の雰囲気を出していて悪くない

 店員さんに注文を告げると少しばかりの沈黙が流れた
こういう時に気の利いた言葉を告げられるのがいい男の所作だろう
だが自分はいい男ではないらしい。まずは無難な話から始めよう


「それにしても待ち合わせって彼氏さん?友人?
 あんまり長居しすぎると遅れるかもしれないよ」

『家族との待ち合わせです。
 元々ここら辺で食べた後の待ち合わせなので時間は大丈夫ですよ
 時間に余裕を持って行動しないといけませんしね』

「そうか、まだ若いのにしっかりしてるもんだ」

『ん、ひょっとして私のこと子供だと思ってません?
 背が低いし中高生に見られがちですけどこれでも21ですよ』

「えっ嘘! まさか同い年だとは思わなかった
 今まで失礼な発言をしてすみません」

『別にいつもの事だしいいよ。身長については諦めてるし』

「と言うことは同じ大学生か……
 いやひょっとしてもう自立して働いてたり?」

『学校には行ってないけど職もついてないよ
 私は今夢の為に必死に技能を磨いているところ』

「夢があるんですか
 技能が必須となると難しいだろうけどどんな夢?」


 自分はこの質問をした時の事を一生忘れる事はないだろう
平穏な日常に突然現れた異物。普通なら絶対に関わることのない別世界
窓から日光が差し込み、持っていたコップからカラリと氷が解ける音がした。


『私の将来の夢は素敵なお嫁さんになることです』


 そう喜々として言い放った彼女はこの上なく幸せそうな笑顔で、未来への希望に胸を弾ませている恋する乙女だった。
その100人中100人がいい笑顔だという姿を見なければ自分も一時限りの通りすがりだっただろう。
ただなぜだろう、決定的な違和感のような何かが自分の胸に重く圧し掛かったのは覚えている。





 腕の中で裸の彼女が笑う。とても幸せそうな満ち足りた表情で
そんな彼女を見て自分も笑顔を作るよう必死に努めた。
歪んでないだろうか? 曲がってないだろうか? 上手く笑えているだろうか?


『ねえ、私は今とっても幸せなんだ
 愛した人に愛されて、好きな人に好かれて子供を作って』

「知ってるよ。」

『でも私はあなたの事も好きなんだ。
 こんな私を好きになってくれて、普通の女の子として扱ってくれて』

「知ってるって言ってるだろ!」

『五月蠅いですか?ごめんなさい
 だったら口を塞いでください。あなた以外に言葉が届かないように』

 
 それは今までしたどんなキスよりも痛々しい涙の味がした
彼女の細い体を抱きしめて、体温を感じて、とても近いのにとても遠い。
確かに好き合っているはずなのに思いが通じ合うことはない


「……なあ、何であんな奴と一緒にいるんだよ
 いくら好きって言ったっておかしい事ぐらい分かってるんだろ?」

『おかしいだなんてそんな事ない
 だって彼はいつも優しいんだよ。いつも愛情を注いでくれるんだ』

「その愛情の注ぎ方が間違っていても?
 なあ一緒に来てはくれないのか?あいつよりも自分を選んではくれないのか?」

『間違って、なんて、いないよ
 だってお父さんはいつも優しいんだ
 常に私の事を考えて動いてくれてるし
 いつもいつも愛してると囁いてくれるし
 たとえ世界全てを敵に回しても私の事を愛してくれるし
 私が掃除や洗濯をするとほめてくれるし
 料理を作ると美味しいと言って笑顔で食べてくれるし
 着飾ると可愛いと言って抱きしめて愛を与えてくれるし
 一緒に眠ると一晩中私の事を思いながら愛してくれるし……』


「頼むから幸せならそんな痛々しく笑いながら言わないでくれよ」


 早口で喋る彼女の瞳孔は完全に開いており何処かこの世界ではないものを見ているかのようだ
彼女は長い髪を揺らして俯くと声を殺して泣き始めた。一体何を思いどうしたいんだろうか
きっと彼女がさっき言ったことは全部間違ってはいないんだろう

 彼女は本気で父親の事を愛しているし父親も娘を本気で愛している
頭ではだめだと分かっていても恋心が止まるわけがない
二人きりの閉じた幸せな愛の空間。そこに自分の居場所は存在しない


『好きな人と愛し合っていて、子供がお腹に宿っていて、私は間違いなく幸せで
 そんな状況なのに……とてもとても怖くて仕方がないんです』

「自分には……差し伸べられてない手を握ることは出来ないよ」

『……私にも普通の女の子に憧れていた時期があったんだよ
 学校や街中でカップル見たり、恋愛小説やテレビに興味を示したり
 でもそんな綺麗な恋愛をするにはとっくに手遅れだったんだ
 もう既にお父さんを好きでないと生きていけなくなってたんだよ、分かる?』

「分からない……もう何にも分からねえよ
 お前の気持ちはどこを向いているんだ?お前は何をしたいんだよ?」

『ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい
 でも私は好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ』


 自分はどうすればいいのだろう、鈍痛を抱え続けている彼女と自分。
近親相姦が悪いだなんて常識はこの際どうでもいい。ただもう彼女の痛い笑顔はみたくない


『だから恋人になろっか。私があなたを捨てるまで』

「それは……明日までってことか」

『うん、きっと私はあの部屋に戻る。だってどうしようもなく好きだから
 この気持ちに嘘はつけないよ。私はあなたより彼の方が好きなんだ』


 そして一日限りの普通の恋人ごっこが始まった
彼女はきっと自分の元を離れて父親のところへ行く。
でも一時だけ全てを忘れて恋人になれるなら、彼女の鈍痛を消してあげられるなら
その為なら自分はどれだけ辛くても彼氏になってあげようじゃないか





『おはよう逸木、朝ごはん出来てるよ』


 そう言って裸エプロン姿の彼女が笑う……えっ待ってなんでその格好?
いやそう言う子だったな、それより寝ぼけた頭と体を無理やり起こさないと
今は一分一秒でも彼女と一緒にいたいし呆けている暇なんてものはないんだ

 台所に引っ込んだ彼女は少しすると両手に皿をもってくるくると回りながらやって来た。
案の定地面に置いてあったファミコンに躓いたので慌てて抱きかかえると、にへらと頬を赤らめながら笑顔を向けてくる
ああもう可愛いな畜生


『今日のオムライスは自信作なんだけどどうかな?』

「ああ美味しいよ、朝からこの量じゃなかったら文句はないんだけど」


 そう肩にしなだれかかっている小熊に向けて言う。
これはちょっと食べるのに覚悟が必要だぞ……
料理上手な彼女が分量を間違える訳ないだろうし何か意味があっての事なんだろうけど


『だってこうしている間はくっついていられるでしょ?えへへ』

「食べ辛いから後にしてくれると助かるんだけどなあ……」


 案外まんざらでもないのは言わなくても分かるだろう。
早々に食べ終わった彼女の体温は薄着だからかよく伝わって来て
ああきっと幸せってのはこういう事を言うんだなあと一人しみじみと思った


「夜になったら星でも見に行こうか、ほら100万ドルの夜景ってやつだよ」

『あはは、それってビル群に使う言葉じゃないの?行き際に喫茶店にでも寄ろうか』

「そうだな、久々にあそこのシフォンケーキも食べたいし」

『じゃあ決まり!ちゃんとおめかしして行かないとね』

「自分が渡したマフラーが好評なようでよかったよ」

『ねえ、逸木?』

「何?」

『好きだよ』


 オムライスはほんの少しだけしょっぱかった





『ねえ見てこぐま座だよ、それであれが北極星!』

「東京でも田舎の方だと星はよく見えるな
 少し山に入り過ぎたかと思ったけど結果としてはよかった」

『そうだね、手を伸ばせば届きそうなくらい満天の星空だ
 背中のビニールシートの冷たさが気にならないくらい』

「物凄く気にしてるじゃないか
 ベンチも何もないんだからこうするしかないって」

『ちょっとした冗談だよ、でも静かだね 本当に静か』

「ああ、まるで世界に二人しかいないような気分になって来る
 自分達の為だけに用意された世界だ、綺麗じゃないわけないって」

『それもそうだね、きっと今ここが世界の中心だよ』

「なあ、小熊」

『何?』

「好きだ」

『私もだよ』

「……時間だ」


 12時の鐘が鳴る。魔法は解けて家に帰る時間だ
自分は王子様なんかじゃあない、彼女の本当に好きな人じゃなくて
ただ通り過ぎていくだけの一般人Aで……


『じゃあ帰ろう、こんなところにいたら風邪ひくしね』

「ああ、とっとと帰ろうか
 早く戻らないと帰るのが遅くなりすぎるし」

 
 ……それで諦められないから好きになったんだろ!
理屈を並べて諦められる程度なら今ここに立ってはいないんだよ!
なあ小熊、気付いてるか?お前は帰ろうと言ったんだよ
あの部屋に戻ろうではなく帰ろうと

 絶対に王子様と結ばれるハッピーエンドになんかしてやるものか
横から悪い魔法使いがかっさらって台無しにしてやる
例え何があったとしても自分は一緒に笑い合ってやる!




2020年/砦/A区画


「何だよ悠、父親のお前がマタニティブルーか?」

「そうは言うけどハーフEOHだよ?心配で心配で仕方がないさ
  男の子かな?女の子かな? ちゃんと産まれてくるかな?」

「落ち着け、今から焦ったところで仕方ないだろう
 それに多少心配でも産まれてくればどうってことない。この俺がいい例だ」

「お前って生まれが特殊なのか?
 その割には仲良し家族やってる印象が強いんだけど」

「親父とは血が繋がってねえからな
 母と祖父の子供で血が濃いから産まれは心配された」

「いきなりヘビーな話をぶち込まないでよ……」

「そしてその祖父を親父が包丁で刺し殺してな
 めでたく二人は結婚しましたとさ」

「ちょっと待って重い重い!
 逸木さんってそんな過去持ってたの!?」

「そんなこんなだが俺は元気に今日を生きてる
 お前の子供だって大丈夫だろ」

「確かにお前は元気だけど性格捻くれてるから説得力ないなあ……」

「お前の研究所に回す電力を半分にしてやる
 俺に舐めた口きくとどうなるかその身をもって味わえ」

「やめて!僕が悪かったから! これ以上減ると研究できなくなる!」

「なあ悠、いい父親になれよ
 それこそ親父みたく殺人も厭わないくらいには」


 親父曰く俺の存在は鈍痛らしい。
地獄のような日々を思い起こす結晶だと母と笑い合いながら言っていた。
その痛みがあるから家族としてやっていけてるとも。
あいつらマゾヒストか? 言ってる意味が分からなさ過ぎる

 が、少なくとも俺の家では家族とはそういう物なのかもしれないな
出来れば悠とシリウスの奴にはもっと平和な家庭を築いてもらいたいが環境が許さねえか


「もちろん、子供の名前だって決めたよ
 シリウスと同じ命名手段を用いて……スピカだ!」

「決めるの早すぎんだろ
 それにもっと日本人らしい名前にしろ、キラキラネームは悲惨だ」

「逆槻なんて面倒な名前してる人が言うと説得力あるね
 参考までに逆槻ならどんな名前を付ける?」

「そうだな、スピカをもじって名前を付ければいいんじゃねえか?
 名前自体に意味も付けて……よし俺だったらその子にはこうつけるな……」







『結城 一花』
それは世界で最後の奇跡、巡り巡って産まれた小さな魔法
どうか一等星の様に明るく輝き続けますように

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